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「内面よりも、外見を好きだと言ってほしい」が悲しいと思った理由のマキ

ここ2、3日ずっと気になっていた記事がこちら。


内面よりも、外見を好きだと言ってほしい|下田美咲の口説き方|下田美咲|cakes(ケイクス)

外見は、すごく安定している。緊張しても、脚の形や胸のサイズは変わらないし、疲れていても輪郭は変わらないし、体調が悪くても目鼻立ちは変わらない。一年後に肩書きや月収が変わっている可能性はあっても、肌の色が変わっている可能性はゼロに等しい。体型にしても、私は食べたいものを食べて運動も特にしないで生きてきて、ずっと今の体型だ。

もちろんいつかは老けるし変わる。けど、性格やその他のプロフィールに比べたら、2、3年単位では、外見は安定したものを提供できる。ブレないし、自分次第でどうとでもなる。

10年後には老化するから、今と顔も体型も変わるだろうけれど、私は同一の男性とそんな長い期間一緒にいるつもりがないので、問題がない。同一の男性と過ごす2年くらいに関しては、どの年齢の2年であれ、そんな大きな変化はない。

私はこの文章を読んで「悲しい」と感じ(余計なお世話なことこの上ないが・・・)、ただ何故そう思うのかを明確に言葉にできずにいた。で、今日も1日中ふと時間があいてはこの「悲しさ」の理由を考えていたのだけど、ようやく、はたと、この「悲しさ」の正体が分かった。

 

私が彼女のブログを読んで「悲しい」と感じた理由。それは自分の顔を好きでいてくれる人を選ぶ、何故なら顔は変わらないからというロジックは、彼女が文中で言う「変わってしまうもの(性格や年収・肩書きなど)」に対する自信のなさと、恋愛に対する消極性からきているんだろうと感じたからだ。綺麗な人だし、文章も素敵だ。彼女のプロフィールを見ると、事務所に入らずにソロでタレント・執筆活動をしているそうだ。それだけで、とてもガッツがある人だと思う。で、そんな魅力的なはずの人の結論が

・顔だけで好きになって欲しい
(性格他は安定したものを提供できない=嫌いになられる可能性がある)

・そもそも好きになられるのを待つ姿勢

 

であることに、なんだかとても残念な気持ちになったのだ。
(余計なお世話なことこの上ないが・・・)

 

彼女に限らず「自分が選んだ人」ではなく「自分を選んだ人」と一緒にいることを選ぶ人は少なくない。恋愛なんて人それぞれ。自分を選んだ人の中からじわじわと相手を好きになる人もいるんだろう。それでも私がなんかもったいないな、と思うのは、自分から人を好きになった時の「相手にも自分を好きになって欲しい」という思いは、よりよい自分にステップアップするための絶好の機会だと思うからだ。

 

相手が興味のあることを自分も知ろうとするし、自分の得意なことを、より得意とすべく努力する。今の私が比較的どの方面の話題も楽しめるのは、歴代の好きな人たちの知識がばらけてたから。料理がそこそこできるのは、手料理を披露すべく、普段から自炊する習慣があったから。人を好きになるたびに、私はいつも「何か」のスキルを手に入れてきた。そしてそれは私に限らず、誰かを好きになり、相手にも自分を好きになって欲しいと願った人は、同じなんじゃないかと思っている。

 

恋愛のパワーってすごいと思う。そしてせっかくのそのパワーを使わずに、敢えて最初から、自分から離れていかなさそうな人を選ぶというスタンスはもったいない!というのが私の見解。願わくば彼女も心から好きな人ができて、そしてそんな彼女がますます磨かれて魅力的になっていく様をみてみたいなと思うのだ。

(余計なお世話なことこの上ないが・・・)