makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

年を重ねることのカナシミとヨロコビのマキ。

今週の火曜日は親友の誕生日で、奮発してリストランテASOに行ってみた。

tabelog.com

カフェには行ったことがあったけど、レストランの利用は初めて。スモークされた自家製バターが評判のお店だったんだけど、確かに美味しい。スイーツも充実。サービスもよい。また行ってもいいなと思うレストランだった。

 

が、どうも感動が薄い。

 

なぜなら最近相方氏と「食」の探訪にいそしんでいるせいで、結構な頻度でコース料理を食べている。一昔前、イタリアンにしろフレンチにしろ「コース料理を食べる」というのは特別な楽しみだったはずなのに、どうも映画に行くとか海に行くレベルの娯楽のひとつとして落ち着いてしまった感があるこの感じは、何とも残念だなーと思うのだ。

 

で、このテのことは年を重ねる毎に増えていく。「初めて」を経験する機会というのは年々減っていって、何をするにしても感動が薄れてゆく。まだ未経験で、やってみたい事のバリエーションが減っていくにつれて、中学生とか高校生くらいの「色々未経験」の状態をとても懐かしく思う。大好きだった作家、山田詠美の小説やエッセイに出てくるように、六本木のクラブで踊ったり、ホテルのロビーで待ち合わせしたりすることを夢見ていたあの頃。大学生になってようやく念願叶って、初めてクラブに行った時とか本当に感動したし、当時の彼と初めての海外旅行とかも何だかとっても新鮮だった。大人になるというのは「初めて」のことをどんどん失っていくことで、ひととおりのことはしたなと思う今、ちょっと寂しいし悲しいなと思う。

 

ただ一方で、久しぶりの「初めて」に出くわした時の感動というのは増している。今年、今の時点で一番印象深いのはカンボジアアンコール・ワットに行ったこと。

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自然が人工物を侵食する迫力ったらない。

 

そして何よりアンコールワットがある街は、全くビルがなかった。ビルがない空は広くて、そして空の色は時間が流れるに合わせてダイナミックに変わっていった。昔は時計がなくても、空をみれば時間が分かったという。そんな時代のことを実感できる街だった。

 

若い頃は、初めてのことが多い分、感動することにあまりありがたみがなかったように思う。そして年をとると「感動」が減る分久々の「初めて」が身にしみる。まあ結局人生てやつは、バランスよく出来ているらしい。

 

今月末は福岡と大分に小旅行に行く。大分県は初めての場所。久しぶりの初めての「何か」がまっているといい。