makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

差別するトランプが嫌いなヒラリー派がトランプ支持者を差別している件のマキ。

 アメリカ大統領選の結果を受けて興味深いのは、選挙後の、ヒラリー派だった人達の態度。特にトランプ大統領の主義主張ばかりかトランプ大統領を支持する人すらも含んだ嫌悪である。加えて「これだから低学歴、低収入は~」みたいな論調の人が少なからずいる。自分が気に食わない相手ばかりか、その支持者まで徹底的に貶めるその論調はもはや差別。差別発言が多いトランプ大統領がいやだったんじゃなかったっけと、私は結構冷めた目でみている。

 

 トランプ大統領を支持したクラスタの中に、熱心なキリスト教信者という層がいる。彼らは聖書に則り、同姓婚も中絶も反対。で、彼らは同姓婚や中絶は当たり前というヒラリーのような考え方をいたく嫌っていて、それがトランプ支持への大きな原動力となっていたりする。ヒラリーの主張は彼らにとって「理解できない」。そしてそれはLGBTを差別するトランプを「理解できない」ヒラリー派の人達と、根本のところはまるで一緒なんだと思う。

 

そんなことを思っている中、この記事を読んだ。

fujipon.hatenablog.com

 

 価値観の差というのは、たとえ親しい友人であっても痛烈に感じることがある。私は何の解決策もなく「原発反対」「戦争反対」と言う人が嫌いなのけれど、友人の中にはそういった主義主張の人もいる。話し合ったところで分かり合えないと思っているので、そもそも話題にしないようにしているのだけれど、これもひとつの分断なんだろう。

 

 ただ分断して、すみわけをする世の中というのは、それはそれで息苦しい。何故なら住み分けには限度があり、すべての主義主張がすりあった人間なんていないからだ。一番近くにいるはずの相方氏ですら、全く同じではないというのに、たとえ細かくクラスタリングしたところで、全てを理解しあえるような社会は実現しない。

 

 ダイバーシティとは多様性を認めるという意味だ。それはLGBTや男女の性差を認めるということだけじゃなく、それを受け入れられない人たちも含めて実現するべきなんじゃないかと、今は思っている。もちろん教育や政治において、相反する概念をどう取り扱うかというのはある。原発反対派と容認派双方が納得できるような解決案を講じるというのは実に難しい。ただ、じゃあどうすればお互いを尊重しあえるかというのをもう少し丁寧に考えるようにしないと、結局は白黒が数の論理で決まってしまい、数が少ない方が、ただ生きづらい世の中になってしまう。

 

まずアメリカがするべきことは、今までのやり方、進むべき方向性にNOという人が多かった以上、その人たちの言葉に耳を傾けることなんじゃないか。そしてそれは多分アメリカだけじゃなくて、日本の中でも一緒なのだと思う。

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