makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

アメリカ在住20年の日本人からみた米大統領選挙、そして人種差別との付き合い方のマキ。

アメリカの大学を卒業し、そのままアメリカで就職されて早20年の方とお話する機会があって、率直な胸の内を聞いてみた。感想としては「どっちになっても最悪だった」で、選挙が来る前からまわりの人は皆憂鬱だったという。で、決まってからの感想も「最悪」ではあるものの、少なくともその人はそれがキッカケで特に嫌がらせなどが増えた訳でもなく、今後の情勢は「様子見」のスタンスだそう。

 

話を聞きながら感じたのはトランプ大統領誕生が決まる前からも、もともと人種による差別を感じることはあるということ。その人が住んでいるのは大都市、いわゆるヒラリー候補が地盤としていた「青の都市」である。そんな都市でもそういった経験があるというのだから、やっぱり「人種差別」というのはアメリカにおいてなかなか根深い問題だ。私の妹も10年近くアメリカに住んでいたのだけれど、肌の色に起因する疎外感を感じることが多々あったようで、それが日本に戻るキッカケのひとつだった。

 

私自身は小学校の時にアメリカに1年住んだことがあり、また出張や旅行で何度もアメリカに行っているのだけれど、不思議と差別された記憶がない。なんらかのネガティブな出来事があったようにも思うのだけれど、全く記憶に残らないのは、あって当然という気持ちがどこかしらにあるからなのだと思う。

 

今でも覚えているのは大学生だったある日の東京で、電車に乗っていた時のこと。どういうわけか、車両には中東系の人ばかりが乗っていて、日本人は私だけだった。小さい頃から外国人と接する機会が多かったにも関わらず、その時私が感じたのは「恐怖」だった。肌の色が違うというだけで、そんなにも強い違和感を感じるということに、私はたいそうビックリした。同じ人間であるのは間違いない。ただ肌の色が違うというのはそれだけで、結構なインパクトである。その後六本木のクラブで、気がついたら黒人の人達に囲まれた時も私はやっぱり恐怖を感じ、そしてなんだかそんなことを思う自分がとても悲しかった。

 

そんな経験があるからかもしれない。私自身の中にも「人種差別」はあると思っている。そしてその気持ちが自分の中にもある以上、自分が時には肌の色が違うだけで、不当な扱いを受けるということを、しょうがないこととして受け入れている。だから恐らくどこかで差別を受けているんだろうけど、記憶に一切残らない。それは赤信号を無視した人をいちいち覚えていないのと同じように、まあそんなこともあるよねという感覚があるからなんだと思う。

 

ちなみにアメリカ在住20年の方も割と近い感覚をもっていた。「まあ、そういう人もいるよね」と。そして私もその人も、そこまで大きないらだちや憎しみや恐怖を感じてないのは、「まあ、大抵はそんな人でも話せば分かる」ということを信じている。出会いの印象はお互い最悪かもしれない。ただ、何度も言葉を交わしていくうちに、「イエロージャップ」は「肌の色が黄色いただの人」になることがとても多くて、そしてそんな関係性を築いていくことが、その人の今後出会う「イエロージャップ」の印象をも変えていくんだろうと思っている。

 

決してすべてではないけれど、多くの「人種差別」というのは「自分とは違う肌の色に対する違和感」なのだと思う。それは恐らく、大抵のひとの心のどこかにはある感情だ。そしてそれを克服するには、「それは人種差別だ」と糾弾することだけではなく、「ちょっと肌の色は違うけど同じ人間なんですよ」と丁寧にコミュニケーションすることがとても重要なように思っている。そんな行動の積み重ねが、「人種差別」という悪しき人間の本能を、解きほぐすパワーがあるんじゃないだろうか。

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