makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

あなたが愛されない理由があるのだとしたらのマキ。

 

「女子をこじらせて」は2016年11月に亡くなった作家「雨宮まみ」の半生が綴られた本。以前読んだ時は個性的な作家の半生として興味深かったが、作者が亡くなった今、改めて読み返すと、心が痛む。

作者は「自分は(女性として)価値がない」という思いを胸にずっと人生を生きてきて、そしていつしか「美人作家」と呼ばれるようになったというのに、逆にそれが彼女を更に苦しめる結果になった。

「女性は見た目が全てなのか」という問いに対してある時はそれを受け入れ、ある時は反発し、ある時はそんな価値観を馬鹿にしながらも囚われている。後年「美人」と言われるカテゴリに属してもその思いが消えないのだとすると、逆にどうすれば救われたんだろうと考えずにはいられない。

 

「女性は見た目が全てなのか」は大きな誤解だ。男性全てが女性を見た目で判断し、そこ以外に価値を見出さない訳では決してない。もしそんな思いにとらわれているのだとすると、それはあなた自身が「人間見た目が全てだ」と心のどこかで思い、そして他人を見た目で判断しているからだろう。美しい/美しくないで人の優劣を判断し、自分より美しい人を羨み醜いものを蔑む、そんな風に毎日を過ごしているからなんだろう。

 

実際の世の中における「見た目」は人が人に興味を持つただのキッカケである。美しい人に魅力的な人が多いのだとすると興味をもたれる機会が多い分、「美しいだけでは価値がない」ことを早くに知ることになるからだ。そして「女性は見た目が全て」から逃れられないと不幸なのは、自分が愛されない真の理由から目を背け、全てを「見た目のせい」だと片付けてしまうことだ。あなたが思う「自分の醜さ」は鎧である。醜さだけに目を向けていれば、愛されないのは「醜さ」が故であって、そしてそれはあなた自身に責任がないからだ。

 

もしあなたが愛されないのだとすると、それは決して見た目のせいではない。人というのはあなたが心の奥底から痛感しているように「愛されたい」と思って生きている。そして「愛される人間」というのはそんな他人の「愛されたい」を受け止めることができる人間だ。自分を卑下し、他人を羨み、蔑んでいるあなたに他人を愛する余裕はなくて、それなのに「愛される」ことだけを貪欲に求めるというのは少し滑稽なんじゃないだろうか。

 

自分を大切にできない人間は他人を大切にすることができない。だから愛される第一歩というのは、自分を自分で肯定することなんだと思う。見た目が気に入らなくて愛せないなら、せめて変わろうともがいてみたらいいんじゃないか。どんな人であっても、変わろうとさえ思ったなら、少しづつ、でも確実に変わっていく。

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)

女子をこじらせて (幻冬舎文庫)