makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

「こじらせ女子」を直す方法があるとしたらのマキ。

取り寄せていた「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」という本が今日めでたく入荷しさっそく読了。

 

間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに (コア新書)

 

 

この本、何故わざわざ取り寄せるまでに読んでみたいと思ったか。それは雨宮まみさんと二階堂奥歯の類似性に関する記述があることを知ったからだ。

 

私は雨宮まみさんの死にあたって、ふと二階堂奥歯を思い出したのだけど

t.co

 いつも読んでいるブログ「いつか電池がきれるまで」でも言及されていて(サムネまで一緒だ)とてもビックリした。

fujipon.hatenablog.com

 

そして調べたら、生前雨宮まみさん本人が、そもそも類似性を認めていたのを知った。


本人が思う「大正解」、それはいったいどんな観点でなのか、ということに興味を持ったのが、この本を読んでみたいと思った理由である。 

 

「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」は「ロマン優光」というミュージシャン兼作家からみた、日本のサブカルに関する解説&考察本。そもそもサブカルとは何か、サブカルとオタクの違い、こいつはサブカルでも何でもない!といった内容は、どれも明快で歯切れがよくて、気持ちがいい。

そしてお目当ての雨宮まみさんと二階堂奥歯と関する記述はこんな感じだった。

雨宮さんの著作をベースに考えてみると、
(中略)
自分の中にあるフェミニズム的意識と男性に女性として認められたい気持ちの折り合いがつかない、男性優位社会やジェンダー問題に対して不快感や反発する気持ちとそういった価値観にそって男性に求められたいという気持ちの矛盾を解決できない、そういった問題のことだと私は理解しています。
故・二階堂奥歯さんがブログ「八本脚の蝶」で「フェミニストである自分がマゾヒストであることは許されることなのか?それをどうやって許容すればいいのか」という趣旨の文章を書かれていたのですが、その二階堂さんのテーマに隣接している意識なのではないかと。

~「間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに」ロマン優光

 

「男性優位社会に対する反発」と「(そんな男性優位社会において)女として認められたい欲求」というのは確かに大きく矛盾している。社会に対していらだつ気持ちと、そしてそんな社会から認められたい欲求と。その相反する感情が、頭がよくて、そして感受性が強い人を苦しめるというのは、まあ確かにそうなんだろうなと合点がいった。

  

 先に引用した箇所を読んだ時、私が今までに会った「こじらせ女子」が思い浮かんだ。みんなすごくお洒落だった。そして頭がよくて優しくて。だけど男性に対してはとても手厳しくて、そしてその攻撃的な姿勢が、男性から敬遠される原因であったように思う。

 何故私が会った「こじらせ女子」は男性に対して攻撃的だったのか。それは頭の中にある「男性像」に誤解があるからのように思っている。男性は女性を性の対象としてしかみていないのでは、顔などの外見でランク付けしてそうじゃない女をゴミみたいにみているのでは、女だからと小馬鹿にしているのでは、などなんだりかんだり。
 もちろんそういう人もいるにはいる。ただ当たり前だけど全ての男性がそんな訳ではない。だいたい女性だって男性に「男らしさ」という性の役割を求めてはいないだろうか。そしてたとえ「男らしくない」男性だったとしても恋に落ちることは多々あって、同じように男性だって女性に「キレイさ」「エロさ」「若さ」の全てが欠けていたとしても、恋に落ちることは多々あるのだ。

 

 「こじらせ女子」を直す方法があるとしたら、それはもっと男性について知ることなんじゃないだろうか。男性の、男性であるが故のプレッシャーや苦しみ。そしてこの世の中は決して何もかもが男性優位に作られているわけではなく、女性にとって有利な側面も多々あって。特に今の日本のように「男女平等」が叫ばれながら「男性は強くあるべき」も求められる社会においては、男性の方がむしろ生き辛いように、私にはみえる。そして世の中から押し付けられる性の役割に違和感があれば生き辛いのは、男性も一緒。何も女性ばかりが苦しんでるわけじゃない。

 

もしそう思うことができたのなら、世の中もう少し生きやすくなったりはしないだろうか。

 

男性に対する嫌悪や、そんな相手に自分が認められたい欲求がこじらせの原因で、そしてそれが精神を蝕んでしまうほどの苦痛になっているのであれば、なんかすごくもったいない。そう思わずにはいられなかった。