makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

アラフォーは裸になっていこう!のマキ。

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※この文章は下記の作品を受けて書いたものです。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol04

若さを失うということは、可能性を失うということである。私はこの「可能性」という言葉が、若い頃は大嫌いだった。「若いんだからなんでもできる」なんて言われても、目の前にはいろんな壁があって、「なんでも」なんてできなかった。可能性はあっても、どれかを選べば、他の選択肢は消える。それを選ぶプレッシャーはきつかった。
その「可能性」がどんどんなくなって、38歳で私は突然、自由を感じた。「失うものが減ってきた」という身軽さを感じた。
今なら、なんでもできる。やりたかったこと、我慢なんかしなくていい。失うものも捨てるものも、もうあんまりない。

雨宮まみ40歳がくる!「裸になっていこう!」

38歳のことだ。ある日の飲み会で、友人の紹介で初対面の人もこみで飲んでいた。普通に和気あいあいと話をしていた中、年齢を聞かれ、正直に言ったところ、どんびかれた。その後急に相手が敬語になり、私は何だかイラっとし、そして最悪な気分で家に帰って思った。「とうとう年齢を言って、どんびきされる年になったんだな」と。37はよかった。まだアラサーといってもギリギリ許された気がした。ただ38はその一線をどう考えても飛び越えたように思った。どう考えても「アラフォー」だ。そして、私は「アラフォー」という響きがたまらなく嫌だった。

 

そんな「アラフォー」であることと向きあえたのは本当につい最近のことだ。

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口に出すことで、少しづつ自分の中に馴染んでいって、そして自由になった。思えば「女性」というのはずっと「若さ」を失いながら生きている。女子高生から女子大生になった時も、女子大生からOLになった時も、そして20代から30代になった時も。そしてきっと最後の「若さ」を失うのがアラフォーだ。これに慣れてしまえば、きっと本当に身軽になる。

 

そして若さの代わりの価値を手に入れていこう、素敵な70歳になろう、というのが私の今後の人生の指針になる訳だけれど、それを記念に私も雨宮まみさんよろしく、どこかで裸の写真をキレイに撮ってもらおうと思っている。それは40を越えても、若くなくなったとしても「女性」でいるぞという覚悟。いくつになろうとちゃんと「女性」の形を保っていくことを、私はものすごく意識して生きていこうと思っていて、40歳のヌードはそのささやかな自分への決意表明だ。

 

それまでに体重を少し落として腹筋を割って、お尻の位置を調整したいなと思いながら、スタジオを探している。願わくばこれからも節目節目のたびに、裸の写真をとりたい、というモチベーションで生きていけますように。少なくとも、自分のせいいっぱいの「キレイ」を形に残しておこうというのは、われながらすごく「女性」だなと思う。