makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

アラフォー♀は「若い女には価値がある」とどう向き合うべきかのマキ。

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火曜日は飲みに行くことが多くて、あまりきちんとみていなかった「逃げ恥」。最終回の昨日はちょうど予定がなくなったので、リアルタイムに鑑賞できた。アラフォーの私としては、みくりちゃんと平匠さんよりも、百合ちゃんの恋の行方が気になってた。私もできれば年下じゃない人と付き合いたかった、と今でもふと思ったりするから、百合ちゃんの気持ちは痛いほどよくわかる。で、最終回の感想としては、ハッピーエンドになってよかった、というのもあったけど、百合ちゃんの下記のセリフにすごく考えさせられた。

「若さに価値を見出す女性が、この国にたくさんいることにむなしさを感じる。この先あなたが向かっていく未来でもあるのに。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」 
~「逃げるは恥だが役に立つ」第10話~

 

そもそも私はずっと人生のピークを「35歳」だと思っていた。色々な経験を重ねて、精神的にも強い「大人の女性」。それが完成するのが私の中では35歳だったのだ。で、その後の人生は特に何も期待していない、というか、後はゆるゆる下降線を辿っていくんだろうと言うのが、若かった時の私が思う「年をとる」ことだった。

 

ところがいざ若くなくなりはじめてみると、年をとる、というのは想像以上に不愉快なことだった。油断してると体型は崩れてくるし、気をつけてないと白髪が目立つ。寝ないとすぐに毛穴が開くし、肌もほっとくとガサガサになる。それをあるがままに受け入れる、というのは私にはできず、今も、必死でもがいている。それでも努力したところで、手に入るのは、何もしないよりは多少マシな自分でしかない。

 

彼もいるし友達もいるし、仕事も上手くいっている方だと思う。特にここ数年は今まで生きてきた中でもかなり毎日ハッピーに過ごしてきた。ただいつも、心の奥底には「今がピークかもしれない、後はもう下降線しかない」という恐怖。来年とうとう「40歳」になる今、この「若い女には価値がある」とどう向き合っていくのか、は私にとって向き合わなきゃいけないテーマである。

 

ではどうやって「若い女には価値がある」という呪いを解いていくのか。

 

いや、これは呪いなんかじゃない。「若い女には価値がある」。というか、男女問わず、「若い」にはすごく価値がある。そこを否定してはダメだと思う。子供を産む、という生殖行為をひとつとっても、「若い」は価値だ。肌だって髪の毛だって、若い時のが圧倒的に素敵だ。

 

私は、アラフォーのスタートはそこにあるように思う。「若い」には価値があること、そして自分はもう「若くはない」を認めること。その上で、失われてゆく「若さ」を埋める違う「価値」を自分で定義して、磨いていくのが、「若さ」が失われた後の生き方なんじゃないか。そして結局いつかは誰もが「若さ」を失う訳で、もしそこを埋められる「価値」が手に入れられたら、それはすごく素敵なことなんじゃないか。

 

見た目を整えておくことも重要だけど、それにはやはり限度がある。だから、より中身をしっかりさせていくしかない。困った時に相談しやすかったり、興味の幅が広くて刺激になったり、いつもポジティブで一緒にいると元気になったり。まあ、何でもいいんだけど、若くなくても話す価値がある、時間を一緒に過ごしたいと思える、そんな女性になることが、とどのつまり、私のアラフォー以降の目標だ。

 

2017年からは、素敵な70歳を目標に生きていこうと思う。70歳になっても、今の私からみて「一緒に飲みに行きたい」と思えるような70歳。背筋がピンと伸びてスタイルも整っていて、品のよいファッションで、話題も豊富で、世界の色々なことを知っていて、興味があって、そして一緒にいるだけでなんだか楽しい70歳。周りの皆も、今は子育てだ仕事だとそれぞれ色々あるけれど、年をとったらまた皆、色々なことから解放されてゆく。そんな時に真っ先に「あの人と一緒に飲みに行きたい」と頭に浮かべてもらえるような70歳を目指して生きていきたい。

 

ちなみに「年を取る」のは何も悪いことばかりじゃない。私が昨日から超かっこいい!とどはまり中のプロサーファー五十嵐カノアは19歳。39歳と19歳は縁がなさそうだけど、70歳と50歳だったら、友達くらいにはなれそうだ。もしかしたらここから先は、年をとれば取るほど、「年の差」の呪縛から解放されていくのかもしれない。