makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

五十嵐カノアが素敵すぎる&偏見てつくづく損だと思ったのマキ。

 

今日は仕事の合間にベランダの掃除をしようと思っていたのに、合間どころか結構な時間を使って、「Billabong Pipe Masters」というサーフィンの大会をに釘付けだった。

 

たまたまみたのがその日のベストウェイブと言われている準々決勝の五十嵐カノア。

www.youtube.com

あまりのかっこよさに完全にハートを奪われ、その後五十嵐カノアが日本人で初めて準優勝になる瞬間まで追っかけてしまうことになった。

 

試合が終わった後も、彼のことを調べれば調べるほど好みすぎて、久しぶりに相方氏以外の♂に心がときめく。

  • 1997年生まれの19歳でアメリカ生まれアメリカ育ち。ご両親は日本人のプロサーファーで、子供が産まれたら世界的なサーファーにしたいということで、カルフォルニアに移住したそう。
  • 3歳の時からサーフィンをはじめ、6歳で初めて出た大会で優勝。
  • ジュニア向けの大会で年間30勝という前人未到の記録を達成。
  • U-18の大会を12歳で優勝。
  • 頭もよく、15歳で高校卒業資格試験に受かる

そして今年からトップサーファーしか参加できないWORLD SURF LEAGUEの CHAMPION SHIP TOUR(CT)にアジア人初、ツアー最年少で召集されて、今日、世界三大大会のひとつ「Billabong Pipe Masters」で準優勝。しかも歴代のチャンピオンを破っての、だ。決勝も、波さえよければ勝ってもおかしくない状況で、なんというか、もう絵に描いたような天才青年なのだ。

 

ちなみに6歳の時のインタビューがこちら。

www.youtube.com

 最初全くルールが分からなかった競技サーフィンなのだけど、あまりにも五十嵐カノアがかっこよすぎて、必死で調べて何となく理解。

  • 30分の制限時間で2~3人で争う
  • 1ウェイブ(要はサーフィンすること)毎に点数がつき、上位2本の合計値で勝敗が決まる
  • 「Billabong Pipe Masters」はとにかくパイプ(波がパイプ状になっている中をサーフする)をいかにのりこなすかで点数が決まる
  • 基本的には点数が一番高い人1人が勝ち抜けとなり、次の試合に進む

30分という時間制限の中、同じ自然条件で波に乗る訳なんだけど、波に乗るポイントはほぼ一緒なので、いわば交代交代に波に乗ることが多い。そのため30分の間に何度も順位が逆転し、それがみていてとても面白かった。そして五十嵐カノアの今年の「Billabong Pipe Masters」は、ラスト2分ですごいウェイブを決めて一気に逆転!みたいなものが2試合くらいあって、大興奮。何より「波に乗る」て行為が波の上を飛んでいるみたいで、今日1日中動画を追っかけて、すっかり夢中になってしまった。

 

私はサーフィンに対してものすごく偏見をもっていた。キッカケはいくつかあって、一つ目は学生の頃に海にいった時、「自称サーファー」からものすごく絡まれた記憶があること。二つ目は合コン的な場で出会う「趣味:サーフィンです」と言ってくる♂がことごとくチャラかったこと。三つ目がテレビに出てくるような「サーファーです」な♂の方のビジュアルが苦手だったこと。そんな訳で私は「趣味:サーフィン」と聞くと「私には縁のない人」というフラグを立てていた。プライベートはもちろん、仕事で会っても、だ。

 

ところが今日たまたまみた「Billabong Pipe Masters」の五十嵐カノアが、そんな偏見を粉々に打ち砕いた。

www.instagram.com

あまり過去については後悔しない主義だけど、「サーフィン」に対して偏見を持っていたのはすごく損だったなというのが今日の私が痛感したところ。ちょいちょいやってみないか、みにいかないかと誘われたこともあったのに、「偏見」のせいで断っていた。何より「サーフィンなんてチャラい」と決め付けていたことがあほらしい。少なくとも今日の試合に出ていた人たちは、五十嵐カノアをはじめ、すごく真剣に競技と、そして海に向かい合っていて、本当にかっこよかった。

 

年をとると、人を「釣書」で判断してしまうことが増えるように思う。こういう人は気が合うとか、こういう人は気が合わないとか。過去に会った人の傾向から、新しく出会う人を決めつけてしまうことがある。

ただそんな「釣書」で人を判断すると、こんな風に損をする。私はもっと前からサーフィンについて知りたかったし、五十嵐カノアの小さい頃から追いかけたかった。

 

ひとつだけいい気づきがあったとすると、今まで「偏見」を持っていたものの中にもサーフィンのように最高にクールな「何か」があるかもしれないということだろう。年内、「偏見」のたな卸しをして、2017年はまっさらな目で色々な人を、モノを、みれるようになるといい。