makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

幸せな老人になる条件のマキ。

今日は6時半起きで実家がある仙台へ。祖父が亡くなってから20年ということもあり、お墓参りに行くという。以前も書いたが実家が教会をやっている〜土地建物を寄贈してるからやっている、はちょっと語弊があるかも知れない〜ので、日曜に実家に帰ることは、教会に行くのもセットである。今回は前日も前々日も寝るのがすごく遅かったので、個人的には相当な苦行だった。

 

礼拝が終わり、私は墓参りまで一眠りしようと実家にすぐ帰ったのだけど、両親ともに教会系の用事が諸々あったため、再び合流したのは礼拝が終わってから2時間後。その後至極簡単な墓参りをすませて、夕飯を食べ、今に至る。

 

今回実家に帰ってあらためて感じたのは、うちの両親はかなり幸せに暮らしているということだ。畑仕事やガーデニングが楽しめる広い庭があり、お金の不自由がないという経済的な条件もあるのだろうけど、「教会」というコミュニティの存在が一番幸せに寄与しているように思う。クリスマス、イースター、収穫感謝祭など、教会には季節毎にたくさんの行事があり、そのたびにどこで何をしようというのを教会の主要メンバーで企画し、実行する。今日はクリスマスに向けて賛美歌の練習をしたり、ランチ会のメニューを考えたり、教会の外壁をライトアップするための電飾をセットしたり、それはそれはやることがたくさんあったようで、「忙しくてやんなっちゃう」が齢70を超えたうちの父の今日という1日への感想だった。

 

酒井順子の「子の無い人生」という本を読んでイマイチ共感できなかったのが、老後に対する不安の内容だ。本編を通して、未婚既婚を問わず、子供がいない高齢者にとって、病気になったら、そして死後の整理をどうするかは大変重要という趣旨の内容だったのだけれど、個人的にはそんなことより、もはや趣味といってもいい「仕事」がない人生というのが、どうもしっくりこない。

 

十分な蓄えを作れたところで、それをただ消費するだけで果たして楽しいのか?と思うと自信がなく、たとえ金銭を稼ぐことに結びつかなかったとしても、何らかに打ち込んでいたいよな、というのが、私が思う幸せな老人像。そのあたり、うちの父親も母親も今まで仕事に捧げていたエネルギーを、上手く「教会」の活動にシフトし、(まあ働いていた時からがっつり関わってはいたけれど)特に大きく老け込むこともなく、充実した毎日を過ごせているように思っている。

 

写真は亡くなった祖父が住んでいた家で、私の実家は敷地内の別の場所にある。そういえば祖父は退職金で林だったこの敷地を買い、余生をこの庭の開拓に注いだ。林を開拓する、なんてことに情熱を注ぐというのも悪くない。選択肢はきっと無限にある。

 

後20数年考える余地がある。これはこれでなんとも興味深い、人生のテーマだ。

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子の無い人生

子の無い人生