makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

幸せかどうかはセンスの問題なのかもしれない

f:id:makicoo:20171018143105j:plain

9月からずっと体調が悪い。
 

原因は分かっていて、別に深刻な病という訳ではない。2017年10月18日現在、一進一退ながら、少しづつよい方に向かっている。ただ40年間「健康」をとりえに生きてきた私にとってこの長期間に渡る「体調不良」はかなり衝撃的な出来事だった。
 

ご飯食べようというお誘いを基本断り、コルクラボやBLOCといったそれまでずっと熱心に活動していたコミュニティでも、ほぼ幽霊部員。どうしてもと無理してこなした予定もいくつかはあるけど、その後はほぼ半日寝て過ごすという案配。
私が今まで「アクティブ」と評されていたのは健康だったからに過ぎないんだなぁと痛感した。何より、書いている小説の電子書籍化の話があるのに、具合が悪くなってから一切手つかず。あんなに書きたい書きたい言っていた割にはその程度の思いだったのか、と自分にとてもがっかりした。

 

そんな中、先日、コルクラボの「おいしい観察」の活動で、原宿の竹下通りにいった。2時間かけて「町」と「人」を観察し、その気づきを共有するというプロジェクト。私は友人と初めて出かけたであろう女子小中学生のグループにターゲットを絞り、彼女たちの様子をずっと追った。

 

まず感じたのは、「マクドナルドでバーガーセットを注文する」といったことさえ、彼女たちにとっては冒険だということだ。何を頼むかを決めるということ、その意思を店員に伝えるということ、そしてお金を払う、ということすべてが彼女たちにとっての非日常。そしてそれを見事やりとげた時の彼女たちは心底ほっとして、そして幸福そうだった。そしてそんな彼女たちを眺めているうちに、自分が友達同士で初めて出かけた時の記憶がよみがえり、そしてハッとした。

 

親に頼らずにどこかに行くということ。
自分の意思で食べたいものを食べるということ。
それをいかにかつての自分が、素晴らしい体験だ、幸せだ、と感じていたか。

 

その翌々日に仕事で外出の予定があり、帰り道にフラと渋谷の「牛かつもと村」に立ち寄った。普段大行列の人気店。おひるのピークを過ぎたということもあり、割とすんなり入れて、久しぶりに牛かつを食べた。私の両脇には外国人観光客。ガイドブックでみてから行こうと決めていたのだろう。お目当ての牛かつを目の前に、なんとも幸福そうだった。

 

そういえばしばらくずっと体調が悪かったせいで、ここ最近の私は、朝起きて気分がすっきりしていると、幸せだ。ああ、具合が今日はいいなと思う。まだ思ったようには体が動かないけれど、それでも一時期と比べてすごくいいなあ、ありがたいなあと思う。

 
幸せかどうかはセンスの問題なのかもしれない。マクドナルドでハンバーガーを頼むことに幸福を感じられるか、牛かつを食す時に幸福を感じられるか。そして目覚めた時の自分の体調に、感謝できるかどうか。

 

私がここ数か月の体調不良で学んだことは、「具合が悪くない」がいかに幸せであるかということ。失ってからじゃないとありがたみに気がつけないとは、まだまだ人生を楽しむセンスが足りていない。そう思う。