makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

自分の人生を自分で決める重要性のマキ。

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私が自分の親と過去最高に揉めたのは高校2年生の時だ。家族と一緒に1年イギリスにいた。そして日本に戻らずイギリスにい続けたい私と、日本に連れて帰りたい両親は、壮大なバトルを約2ヶ月繰り広げた。ドン引きだと思うけど、椅子を親に向かって投げつけたりもした。

イギリスで私は「ピアノ」をたいそう褒められていた。そしてテクニック重視じゃないイギリスでだったら、ピアノで音大にいけそうだった。小さい頃からこっそり夢見ていた「ピアノ」の道がイギリスに残ることで開かれると思ったのだけど、親の出した結論は「NO」だった。

 

勉強ができる方だった。だから両親的には「ピアノ」より「頭」を生かして大学に行き、そして職を得た方が得だと踏んだのだろう。客観的にみたら、私もそう思う。そこそこいい大学に行き、そこそこいい職を得た今だとなおいっそう、親の出した結論の有難みがわかる。

 

一方で、それでも私は高校生の時の「もしかしたら」の選択肢の先をたまに考えることがある。世間的な「幸せ」に繋がることはおそらくなかったと思う。それでもついつい考えてしまうのだ。

saavedra.hatenablog.com

そしてこの記事を読んで、「得」な選択をしたにも関わらず、何故時々残念な気持ちで振り返ってしまうのか、の理由に気がついた。

 徹底してやりたいことだけを追求するのもいいし、社会人としての基盤をしっかり築きながら、余った時間でやりたいことをするのもいい。

どちらを選ぼうが、正解ということはないんです。

ここで大事なことは、「自分で決める事」だとウメハラは言います。

 

そしてここから先が凄いところなんですが、

「もしやりたいこととやるべきことは分けた方がいいと思うのなら、そうすればいい。でもその『折り合いをつける』というのが、人からそう言われたからそうするのか、自分の経験から得た人生哲学でそうするのかによって、あとで後悔するかどうかが違ってくる」とウメハラは語っています。

ウメハラの言うことなんて聞くな。 - 明晰夢工房

 

イギリスに残ることを「親に反対された」のは事実。だけど「残ることを諦めた」のは自分だ。そしてその理由は、常識としての「いい大学にいった方がいい人生が開ける」にあった。そう、だから、もう何十年経っても、心の奥底に、小さなしこりとして残っている。

 

 結局、成功と言うのは結果に過ぎないし、こうすれば確実に成功できる、というノウハウなんてどこにもありません。

そんなものがあれば、世の中の人間は全員成功しているでしょう。

でも、成功という結果はコントロールできなくても、どんな道を歩むかを自分でよく考えて決めれば納得の行く人生を生きることはできるし、成長を求め続ければ日々を充実させることもできる。
それは十分自分でコントロールできることなんだ、と彼は言っているわけです。

ウメハラの言うことなんて聞くな。 - 明晰夢工房

 

すごくしんしんとこの言葉が身に染みるのは、その後、今までに3回、常識的に「得」じゃない選択肢を選んできたからだ。偏差値がよい大学を中退して、そこよりランクの低い大学に入りなおした。大手IT企業をやめ、名のないアメリカのベンチャーに転職した。そして稼ぎも性格もよかった元夫と離婚した。

 

その3つの決断にだけは、自信を持っていえる。どんな道を歩むかを、ものすごくよく考えて、自分で決めた。だからその3つに関しては「もしかしたら」と思いを馳せることが一切ない。世間的な「得」に振り回されていたら、私はずっと「もしかしたら」に思いを馳せていた。

「もしかしたら」がある日常がよくないのは「今」が「もしかしたら」の道と比べて、くすんでみえることが多いからだ。「もしかしたら」の先には、成功したピアニストの私がいたりもするからだ。

 

 「もしかしたら」のない人生は素敵だ。視界はクリアに開けていて、そしてただ自分が考えて決めた道を一生懸命、歩いていけばいい。

 

そんな風に生きていきたい。心から、そう思う。