makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

ベトナムでバイクに轢かれそうになりながら思ったことのマキ

 

 今年のはじめにベトナムカンボジアに行ってきた。カンボジアの事はまたいつか書くとして、今回はベトナムで訪れたホーチミンのこと。ベトナム戦争の爪痕が残るクチトンネルに行ったり、メコン川を手漕ぎボートでくだったりと、ひとしきり観光ぽいことはした。が、一番印象に残っているのは街中で感じたこと。

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噂には聞いていたけどこれほどまでとは・・・と絶句したのがバイクの量と運転マナーだ。写真では伝わりにくいのが残念なのだけど、まず複数車線あるような道路の一車線は、尋常じゃない量のバイクが占拠する。その一車線をまるで、オートレースしてるのか?!と突っ込みたくなるような編成で色んなバイクが列入り乱れて走っている。信号は一応あるにはある。が、何故か赤信号でも右折はOKという謎ルールのため、歩行者的に、道を渡るのは命がけ。更に信号がない横断歩道が多々あり、車もバイクも一時停止なんてすることなく突っ込んでくる。
結論、道を渡るには強い心が必要で、スピードを落とさず突っ込んでくる車とバイクとの度胸比べ。気迫に負けた方が止まるルールで、滞在3日目にしてようやく相方氏の後ろにくっつかなくても道が渡れるようになった。
 
この事実に対する自分の心の変化がとても興味深かった。
 
1日目は驚き。とにかくベトナムのルールに圧倒され、何だか少し萎縮する。そして何でこんな交通ルールになってしまったんだろうというところの疑問で頭がいっぱい。色々調べた結果、車の所有がしづらいように自動車の所有には多額の関税がかけられてるという背景があるそうなんだけど、それにしたって何故こうなったんだろうという思いが募る。
 
2日目はいらだち。自分がイメージしている通りに道を横断できない。何度も轢かれる!と肝を冷やすような思いをする。かなり長い距離を歩いたせいもあるけど、ベトナムに対するイメージがすこぶる悪くなる。突っ込んでくるバイクの運転手に軽い憎悪。そしてこんなひどい状況に平然としている街の人に対してとにかくいらだつ。行った国で嫌悪を感じるのはこれが初めてで、明日もまだこの街にいるかと思うとうんざりした。
 
3日目は諦め。心臓に毛が生えている相方氏は、私のことなど気にせずにスイスイ道を渡っていく。ひるむとはぐれてしまうし、ひかれてしまう。しょうがないので「街のルール」にしぶしぶ従う。歩いてさえみれば一応車もバイクも、人は認識しているので、ひるまないと分かればスピードを落とす。最終的には交通量が多い道路も、現地人よろしく、1人でも横断できるようになった。そして1人で横断できるようになった時、はじめて「別にたいしたことないな」と思うことができた。
 
 異文化に遭遇した時というのは、かかる時間に差はあれど、私が感じたような心のステップを踏むことが多いと思う。「郷に入れば郷に従え」というのはたやすいけれど、自分が今まで信じてきた「常識」が通用しない場面というのは、とにかくストレスが溜まる。
 そしてこれは何も海外に行った時だけじゃない。今までとは違うタイプの上司であったり、あまり馴染みがない価値観を持つ人だったり。今までの自分を振り返ると、そういう人に出会ったときは、「嫌悪」を感じた瞬間に背を向けることが多かった。
 
またホーチミンに行って1人で道路を横断しろと言われると、正直一切気は乗らない。ただ再び歩いてみれば、またきっと3日目の心境の、もしかしたらその先にたどり着くんだと思う。
 今度「嫌悪」を感じるような相手に出会った時も、背を向けず、諦めの境地に達するまで向き合えるようになるといい。そうしたらあの厄介だった「憎悪」に近い負の感情がすっと消え、「別にたいしたことないな」と思うことができるかもしれないから。