makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

「男性保育士を採用しない」は差別だけど「男性保育士が嫌」はまた別の話だと思うのマキ。

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面白い議論があった。

togetter.com

 

私はけっこうな数の男性がロリ要素を持っているしレイプ願望もあると思うけど、その性質だけをみて職業の制限をかけるべきではないと思っているのが、その行為が「犯罪」だからだろう。女児に手をかけるような行為が許されるべきではない、ということが定義されている以上、「そういう人が多い」という理由だけで職が制限されるのは差別だ。これがまかりとおってしまうと「家が貧乏な方が窃盗をおこしやすい」とか「学歴が高い親に育てられた子供の方が可能性がある」とか、統計上のデータから「選別」を世の中がするのを認めるのと同じになる。
だから考えるべきは「変態が保育士に混じってしまった場合のリスク対策」である。「変態が混じる可能性があるから男性保育士を採用しない」は特に今の時代、ナンセンスだと思う。

 

一方「男性保育士が生理的に嫌」というのは、差別ではないと思っている。

anond.hatelabo.jp

これは生理的に受け付ける受け付けないの話なので、「嫌」である以上、女性スタッフしかいない保育所を探すなどすればよい。また「女性スタッフしかいない」というのをウリにする私営の保育所があるのは特に問題ないと思っている。産婦人科医だって、女性医師しかいないことをウリにしているクリニックがいっぱいある。「嫌」なものは「嫌」なのだ。その感情自体は「好み」でしかないし、「私立」というのはそういう需要を満たすために設立されてしかるべき。だから私立のクリニックに対しても「男性医師/保育士を雇わないのは不当」というのは、ちょっと違うし、「男性保育士が嫌」であることも特に問題はないと思うのだ。

 

ポリコレ棒が人を不愉快にさせるのは「差別しない」と「嫌悪感を持たない」を同一のこととして扱うからだろう。LGBTの人を差別しない、というのとLGBTの人に嫌悪感を持たない、というのは別の話だと思っている。男が男を愛すことに私は何の疑問ももたないけれど、嫌な人は嫌。その感情をいくら「差別だ」といったところで、何の解決もない。人の好みってそういうものだ。

 

ただその「気持ち悪い」を大きな声で言わない、というのはマナーでありモラルであると思う。誰だって、自分を否定されるのは嫌なものだ。私は骨格がしっかりした男性にしか性的魅力を感じないけど、そうじゃない男性に「お前は骨格が華奢だから男としてみれない」とは言わない。触られても萌えないと思うけど、別にそれってわざわざいうことじゃない。LGBT が嫌とか男性保育士が嫌ってのもまさにその類のことだと思う。

 

以前勤めていた会社に「30歳以上は女性としてみれない」を公言している人がいた。「makicooさん、30歳以上だもんなー女性としてみれないなー残念だなー」と飲み会の席で言われてかなりびっくりしたんだけど、全然嫌じゃなかったのは、その人が本当になんだか残念そうだったからだ。彼は自分のストライクゾーンが狭いことを憂いていて、だからいつまで経っても彼女できないんだよな、とそんな風に言っていた。

バイセクシャルな人に出会うといつも羨ましいと思う。2回だけ女性とセックスを試したことがあるけど、私は残念ながら出来ない側の人間だった。「生理的に嫌」が少ない人間の方が幸福なのは間違いない。