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杉本博司「ロスト・ヒューマン」のマキ

昨日は恵比寿の東京都写真美術館へ。ちなみに誘ってくれたのは最近芸術に興味を持ち始めた相方氏で、かなり感激している。

 

さてさて杉本博司。人工物をまるでリアルのように撮影したり、水平線のようなテーマを同じ構図で場所を変えて繰り返し撮影したりと、私が思う「モダン」な写真を撮る写真家だ。個人的にはマン・レイ篠山紀信のように本人の内面が滲み出てくるようなポートレートを得意とする写真家が好きではあるものの、前から名前だけは知っていたので、興味深くみた。

 

今回みた展示はアメリカの廃墟になった劇場の写真をほぼ同じ構図で撮った「廃墟劇場」という作品群と京都の三十三間堂をテーマにした「仏の海」、そしてもはや写真の展示ではない「ロスト・ヒューマン」の3つ。「ロスト・ヒューマン」は作家がイメージする「世界の終わり」が33パターン掲示されていて、テキストと展示物で構成される。
たとえば「ラブ・ドール・アンジェ」という展示ではオリエント工業のラブ・ドール、杉本博司の作品「ジオラマ」、アンティークのランプ、マン・レイの作品に400字ほどのテキストといった構成で、テキストには「生身の女性に性的欲求を感じなくなった男性達がラブ・ドールに愛を注ぐようになったが、その結果人類は息絶えた」的な内容が書かれている。

 

写真を見に来たのに写真とはあまり関係のない大量の展示に拍子抜けし、またこの展示において肝となるはずのテキストの文体や質が個人的には正直微妙。それでも杉本博司が憂えている「世界の終わり」の予感には感じるものがあって、家に帰ってからもふと思い出し、そしてこんな文章を書いている。

 

「芸術」とは芸術的手段(それは絵画だったり映像だったり音楽だったりテキストだったり)によって表現される世界や内面の描写だと思っている。で、それを他人に理解させ、共感させるために洗練されている必要があるというのが私の見解だったのだけど、杉本博の「ロスト・ヒューマン」はもっと何だか泥臭い。そしてその泥臭さに居心地の悪さを感じたものの、それでもこうやって昨日みたものを思い返してる訳だ。

 

「廃墟型劇場」と「仏の海」は非常に洗練されていて、「さすが世界の巨匠」なんてことを思った。が、結局今思い出しているのはなんとも泥臭い「ロスト・ヒューマン」だ。昨日は安易だなーと展示を見ながらブツブツ言っていたのに、しっかり記憶に残っている。案外芸術とはもっと気軽なもので、そして一番大事なのは洗練されていることではなく、描きたい何かがあることなのかもしれない。

 

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