makicoo thinks

世の中に対して思うことはここに。

妊娠状態における女性のせつなさのマキ。

ちょっと前に妊娠中の友人と会った。予定日は12月で、お腹はもうとても大きい。お腹の大きさ以外は最後に会った時と同じ、ただ少し元気がなかった。

 

共通の友人の話やちょっとした近況報告の後に彼女が私に教えてくれたのが、妊娠して体が変わっていくこと、人生が変わっていくことに対する切なさだった。何度も自分の裸を見ては吐いたという。また授乳のためには赤ちゃんが吸いやすいように乳首を出すためのケアをする必要があり、そんなことを1人でしている自分が気持ち悪いと言っていた。

 

「もう女として終わったなと思う」

 

彼女は吐き捨てるように言って、そして弱弱しく笑った。

 

大きく膨れたお腹はもともと腰痛持ちの彼女を苦しめ、そしてやりがいを持って取り組んでいた仕事を奪った。気分転換をしようにもエステもダメ、ヨガもダメと妊娠中の女性の制約はとても多い。社会から拒絶されている感じがすると言う彼女の言葉に、私は後もうちょっとだよ、と気休めの言葉しか持ち合わせてなくて、ただただそんな彼女の切ない日常が早く無事に終わりを告げるようにと願うしかなかった。

 

妊娠・出産というのは人生の華々しい1ページではあるけれど、それは女性の切なさの上に成り立っている。彼女のように前向きに受け止められないのは特殊なケースなのかもしれない。それでも日常を制約されたり、変わっていく体を受け止めざるを得ないのは全ての妊娠中の女性に共通して言えることで、命というのはずいぶんな犠牲の上に成り立っているんだな、そんな当たり前のことを深く考えさせられた。

 

彼女が無事に出産したら、心から「お疲れ様」と言いたい。どこかのよいレストランで、彼女の決して子を産むという喜びだけだけではなかった10ヶ月を、せいいっぱいもてなすことができたらなと思っている。