makicoo thinks

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戦争反対て安易に口に出せる言葉じゃないと思うのマキ

イスラム国の勢いが多分衰えてきていて、アメリカがシリアの情勢に首を突っ込むことに慎重になった今、結果何が起こってるかというと、アサド大統領体制側(ロシアのサポート付)による土地の奪還だ。特に「アレッポ」と言われる地域が今後の戦線の情勢を占う分水嶺になっていて、連日激しい戦闘が行われている。それがどれだけひどいことになっているかというのは、下記の少女のツイートから分かる。

news.livedoor.com

少女の存在はやらせなんじゃないか、という声があるにせよ、少なくともTwitterの呟きや映像は、生々しい。

 

シリアに不穏な空気が流れるようになったのは現体制のリーダー、アサド大統領が政権の座についてから。厳格なイスラム主義者のアサド大統領に反発するものは多く、それをおさえつけようとする体制側と、そんな体制をひっくり返そうとする反体制側の争いになった。更にそんな政情不安定になったシリアに、イスラム国まで押し寄せた。その結果、去年の時点でこんな無残なことになっている。

po-co.net

イスラム国に表立って加勢する国はないけれど、現体制派をよしとするのか、反体制派をよしとするのかは、国際社会の見解が分かれている。イスラム国をぶっ潰すというところまではどの国も共通の見解であったのだけど、イスラム国が衰退した今、じゃあどちらの勢力がシリアを制圧するべきか、は正直よく分からない。

 

「戦争」というのは、そもそも争いの当事者じゃない第三者が使う言葉であるように思う。現行政府に対抗する勢力への攻撃は通常「反乱/テロ/侵略行為の制圧」だし、現行政府のやり方に異を唱える人はその争いを「革命/開放」と呼ぶ。「戦争」と呼ぶのはその戦いを客観的にみている人の言葉だ。

 

日本に住む私達はいとも簡単に「早く戦争が終わればいいのに」と言う。ただ、この戦争を終わらせるということは、シリアをどっちが治めていくかを決めるということ。それが決して簡単じゃないのは、誰かの正義が誰かへの抑圧になるからだ。

 

「戦争反対」とはどういう意味なんだろうと考える。政権を握った統治者の言うことを聞き、決して歯向かわないことなのか。いかなる決め事も多数決を正とし、少数派は常に服従することを強いることなのか。

 

少なくとも私には、分からない。