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篠山紀信「写真力」感想のマキ。

昨日は横浜美術館に篠山紀信展「写真力」を観に。

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いやーよかった。去年の11月も「快楽の館」という別の篠山紀信の写真展を観にいったんだけど

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万人がみて楽しめるのはこっちだと思う。

 

展示されている作品はほぼ全て、有名人のポートレート。特に「GOD」と名づけられた作品群は、既にこの世を去った偉人達、たとえば美空ひばりだったり勝新太郎だったり、が、何と5メートルくらいに引き伸ばされて展示されている。ただでさえ眼力が強い人たちをそんな大写しでみるものだから、ものすごい迫力。ただ、迫力がありながらも、どの写真の顔も、なんというか、すごくリラックスしていることに気づく。

 

絶対的安心の中にいるというんだろうか。

何ひとつ取り繕ってないというんだろうか。

全てをさらけ出してくれているというのだろうか。

 

この篠山紀信という写真家のすごさは、被写体の心を開かせることにあるんじゃないかと思っている。その証拠に、一対一で向き合ってとられただろう、ポートレートの先の人は、なんだか本当にリラックスしているのだ。

 

私はマン・レイという写真家の「ジュリエット」という3番目の妻を撮った一連の作品が好きで、それは「ジュリエット」に対するマン・レイの愛情が写真からにじみ出ているからというのがその理由。そして篠山紀信の写真にも、篠山紀信の被写体に対する「愛」を同様に感じる。ただそれはもっと、家族愛というか人間愛というか、「慈しみ」という言葉の方が近いけれど。

 

この週末はアメリカではじまった特定七カ国の方に対する入国禁止措置にものすごく心が痛んだ。今まで暮らしていた場所に突然戻れなくなる、そんなことは戦争中にしか起こらないと思っていた。遠い昔、他人事として見聞きした「戦争」を、今、ものすごく身近な脅威として感じている。

 

それでも心強かったのは、入国拒否の憂き目にあっている人たちをどうにかしようと立ち上がったアメリカの人たちの強さ。

集まっている大半の人は、別に家族や友人が入国拒否の危機に瀕しているということではなく、ただただ「これはよくない」と思って抗議の集団に加わった。それはTVやネットで見知ったニュースの先の人に、 「愛」を感じたから以外のナニモノでもない。

 

私はちゃんとそうやって人をみれてるかなと振り返る。

 

篠山紀信のように。

そして、アメリカの人たちのように。

マン・レイ写真集 (1981年)

マン・レイ写真集 (1981年)

 

 

快楽の館

快楽の館